人にとって別れ方は大切な意味を持つ
今回の週末は外泊することができた。
外泊することに対してあまり乗り気ではない内妻を、何とか説得して無理やり外泊した形になってしまった。
それもそのはずで、前回外泊したときにあまり良い分かれ方をしていないからだ。
人との縁はどんな風に別れることができたで決まるような気がする。
良い分かれ方できれば、また良い形で出会うことができる。でも、分かれ方が悪ければ、二度とその人に会いたくないと感じるのが人間なんじゃないかなと最近考えるようになった。
「終わり良ければ全て良し」という考えに手放しで賛同することはできないけど、人にとって終わり方や別れ方には大きな意味があると思う。
まだ30代半ばのオレが、この先どんな死に方を、人生の終わり方をするのか分からないけど、どうかそのときには周りの残す人にとって、良い終わり方であるように願っている。
オレの人生の終わり方が良ければ、残された人達にとって良い意味を持つことになり、良い人生への導くことができるだろうから。
そんなことを今日は考えていた。
こんなこと先のことを考えるよりも、目の前の仕事やお金を稼ぐこと、生活を安定させることに必要なことを考えなくちゃいけないのに、軽く現実逃避していたのかもしれない。
目の前にやらなくちゃいけないことが山積みになったときに、他の人はどんな行動を取るんだろう。
オレなら逃げることを真っ先に考えてしまうんだと思う。今日がそんな一日だった。
でも、やるべきことはひとつじゃないから、他のやらなくちゃいけないことを今日は取り組めたと思う。療育手帳について調べたり、できるだけ前のめりに倒れるように頑張ったと断言できる。
今日は完全に逃げ出すことはせずに、少しだけ前進した一日だったということにしておこう。