非常に興味深いブログを見つけた
今日こうしてブログを書けているのは、嫁の仕事の中でillustratorを使う作業があり、その作業は僕のPCじゃないと操作できないということにこじつけて、半ば無理やり外泊の許可をもらったからです。
ついでに嫁のマッサージをする約束をし、それも昨日のうちにしっかり約束を守りました。
そして今日。昨日から続いていた仕事は終わり、仕事の手伝いもない状況になりました。そこで、嫁が教えてくれた、厳密にいえば嫁の友達が教えてくれたブログを読むことになったのです。
重要なのは、最小限の負荷を与えて、それに正しいリアクションができるようになる練習が必要ってことです。
それには、ぎりぎりを見極める必要もあるし、その都度メンタル的に苦しくなることもあるってことを理解しなくてはいけない。
理解しながら、毎日進んでいくことが大切で、そのための練習をすることを嫁に伝えることもしっかりしていかないといけない。
サイトで読んだことがすべてと思ってはいけないし、サイトのことも参考にしつつ、自分だけの攻略方法を見つけるのがベスト。
多分、自分の幼少期にルーツがあるから、そこを見直す必要があるんだけど、家族への思いをどう断ち切ればいいのかわからない。
どうしても家族、主に母親に認められたいという気持ちがとても強くある。
家族と仲良くしていけたら…と思う気持ちが心のどこかでいつもある。甥っ子たちと仲良く毎日本当の家族のように暮らしていきたいと思ってしまう。
これがいけないことなのか?
多分、本当に治療と向き合うためには、家族との縁を切る必要があると今のところ思っている。でも、縁を切らずに済む方法があるなら、それに越したことはないと思う自分もいる。
これだけ見てもわかるとおり、家族への思いが強いのだ。
でも、なんとかしなくちゃいけない。家族と絶縁する必要はないけど、こっちから積極的に連絡を取らなければ、いつか気持ちも薄れていくかもしれない。
だから今すぐできることとしては、あんまり連絡せず、干渉しないこと。
それで気持ちを抑制していく感じだと思う。
死んでも後悔したくないから、今人生できる最善の選択を取っていきたい。そのために自分の何かを変えなくちゃいけないなら、変えるために必要なことと割り切って何でもやっていこうと思っている。
この記事は、何日にも渡って書いている。今日で多分3日目くらい。
今日は夢を見た。この記事を書くのに、非常に強いストレスを感じているからだと思う。悪夢、と言っていいかわからないけど、ひたすら不安を感じる夢だったことくらいしか覚えていない。
なんで不安になるのか?なんで過去と向き合おうとするとストレスを感じるのか?自分でもこれといった原因を特定することはできない。
でも、多分過去に【何かしらの】【何か】があったんだろうと思う。思い出すのも辛くて、思い出すことをやめてしまった何かが。
多分、それはひとつじゃない。ある時期に、ある程度の期間、ある程度のトラウマ級のストレスが掛かっていたんだと思う。
昔のことを思い出そうとすると、頭が痛くなるし、言いようのない不安感に包まれる。
だから思い出さなくていいのであれば、思い出したくない。
でも、僕の場合は過去と向き合う必要があると思う。過去に自分のパーソナリティを克服するカギがあると思うから。母親に認められたい。母親に自慢の息子だと言ってもらいたい。家族から信頼されたい。それは僕の根底にある願望であり、強い承認欲求だと認識している。
健全な家族に対して、その感情を持つことは良いかもしれないが、僕の家族は健全な形を保っているとは言い難い。
甥っ子たちを見ていて思う。僕から見れば、劣悪な育児環境の中で、どうまともに育っていくんだろうと。甥っ子たちはみんな愛情に飢えていることは、僕から見てもすぐにわかる。
そういうのを見ていると、僕が小さいころも同じだったんだろうなって、自分の幼少期と重ねてしまう部分がある。何分、思い出せない過去が多すぎるので、確かなことは言えないが、間違いないのは、僕は愛情不足で育った人間だということ。
愛情不足で育った。これを認めるのにも時間がかかった。今でも母親からは愛されていると思いたい自分もいる。だけど、やっぱり、振り返ってみると、思い出せる範囲の過去を見てみると、十分に愛されていたとは思えないし、僕もまた素行が悪かったと思う。
育児に正解はないと思う。でもどんな育児方法だったとしても、愛情は不可欠だ。愛情が足りないと、寂しさや孤独を抱えるだけではなく、僕のように幼少期そのものがトラウマになってしまう可能性があるからだ。
今書いていて気づいた。そう僕は幼少期がトラウマなんだと思う。幼少期にまつわる様々なことを思い出せない。自分の一番古い記憶が何なのかさえわからない。自分のルーツがわからない。
母親は僕ら兄弟が幼いころに離婚し、昼夜働き、合間に友達と遊んでいる生活をしていた記憶があり、自称パチプロというくらいパチンコに時間とお金をかけていたのを覚えている。夜遅くまで帰ってこない母親が、パチンコで勝ったから好きなゲームソフト買ってあげる。という電話が入って、兄と僕は大喜びをして、妹は寂しいと泣いていたのを覚えている。
夜母親がいない家庭の子供は、きっと何かしらの傷を抱えてしまうような気がする。眠るときに、一番安心できる人の存在がいないからだ。
今僕は、入院生活の中の外泊中で、となりに嫁がいるとそれだけで強い安心感を得ることができる。
安心して眠れることが、どれだけ大切なことか、大人になった今になって理解できる。安心して眠れないと、眠りが浅くなったり、ストレスを感じたり、眠れなくなったり、子供だと夜泣きにつながる。
夜眠るときだけじゃない。朝起きたときに、一番安心をくれる人がいないだけで、それはどれだけ不安になるだろう。
僕の幼少期はそんなことの連続だったと思う。だから、今認める。僕は母親からの愛情不足や育児環境が悪かったせいで幼少期に傷を抱えています。
それをあえて母親に言うつもりもない。今さら言ったところで何か変わるわけでもないし、あの当時は母親も若く、きっと必死に生きていたんだろうから、それを別段責めるつもりもないし、責めたところで何も解決しない。
問題なのはこれからの将来。
・過去の母親への承認欲求を満たせないことを理解すること。
・母親よりも僕を支えてくれる嫁と一緒に生きていること
・母親との関係の適正化
・母親から愛情をもらえないことを割り切り、理解して期待しない
・母親からサポートしてもらえないことを悲観しない
・うちの家族が普通じゃないことを理解する
・普通じゃない家族とは適切な距離を保つ
ここで問題なのが、心の底から甥っ子たちを愛している自分がいることだ。
甥っ子たちは何も悪くない。妹も多分悪くない。悪いのは環境。
幼少期の環境は、その子がどう成長していくかの大部分を決めてしまう。だから、甥っ子たちがどう成長していくかは、ある程度環境が決めてしまうのだ。
だから、僕が将来甥っ子たちが困ったときに手助けをしてやりたいと思っていても、それを甥っ子たちが望まない可能性だって十分にある。
変にぐれてしまうかもしれない。
将来に希望を持てないかもしれない。
そう思ったとき、なんともやりきれない思いになる。
でも、自分の子供じゃない以上、別れて暮らしている以上、何もできないのが現実だ。
この現実を受け止めることがとっても大切で、認めることがとっても大変なこともひとつでもある。
自分でも何がおかしいかよく理解できていないのが、大きな問題。
自分のメンタルでやっかいなポイントを正しく認識して、それに正しく対処していく。言葉にすればとても簡単だが、実際に取り組んでみると、本当に大変な作業。
自分がおかしいかどうか相対的に比較しなくてはいけないため、比較対象、もしくは比較するものさしが正しくないと、正しく比較できない。
そして僕のおかしいところに、正しいものさしを持っていないのも大きな問題だ。家庭環境のせいなのか、生まれつきなのか原因は定かではない。ただ、正しいものさしを持っていないことは、嫁と接していてよく理解できる。
そもそも嫁も正しいものさしを持っているかどうか、はっきりとは断言できないが、多分僕よりも正しいものさしを持っているのは間違いない。
誰でもそうだけど、1㎜も狂っていないものさしを持っている人間は世の中に一人もいないと思う。
だから、完璧である必要はないんだけど、完璧を目指して成長していくことをあきらめてはいけないと思う。
ものさしが間違っているなら、どうやって自分を矯正すればよいのか?それは、人に指摘してもらい、教えてもらい、間違っていたら正してもらう作業をお願いしなくてはいけない。
それが唯一、今のところ、僕が見えている正解だ。
人に助けてもらう。人の力を借りる。今までは一人よがりの世界で生きていたから、これからは多くの人と繋がっていく生き方をしようと思う。多くの人に好かれる必要はないけれど、多くの人の力になれる存在になりたいと思っている。
ゆるぎない安心感のうちに抱かれたことのない人びとは、穏やかに〈中心〉にとどまるという、心底からの経験を欠いている。
それは、“絶対に大丈夫、絶対に安全”という深い感覚なのである。(P30)
心の安定を保つというより、心を安定させるために、必要な要素を取り入れる。
心のバランスを取ろうとすると、どうしてもいつかストレスになってしまう。だから、バランスを取ろうとするんじゃなく、バランスが取れる環境を整えていくことが大切。
僕の場合で言うなら、母親への偏った承認欲求を抑制する。
もう大人になったから、母親への承認欲求は違う形で満たされるってことに、心と頭に叩き込まないといけない。
これが心のバランスをとるポイントだと僕は思う。
母親の愛情不足はどうしても、認めたくない。というより、母親をかばってしまおうとする心理が働く。これは間違った心の条件反射だ。
だから、愛情不足だったかもしれないけど、そんなことは置いといて、今より先の将来のほうが長いんだから、もっと長期的な目線に立って、えり子というぱーとなーを信頼して、心を楽にしてあげることが大切だと思う。
一日中部屋にこもっていると、良い思考が湧いてこないイメージが定着してしまった。
結局のところ、自分ひとりでどうにかするのは難しいってことがこの1週間くらいで身にしみてわかった気がする。
人の手を借りないと、オレは今いる場所から抜け出すことができない、そのことを認めた。