もめ事が起こる原因について考えてみた
昨日はあれだけ激しく嫁と揉めたにも関わらず、嫁の気配りのおかげで今日立ち直ることができた。
昨日自分の中で起こっていた問題は、自分の中ではとても大きな問題だったけど、今日になってみたら、驚くほど些細なことになっていた。
今回のことのように、そのときは固執してしまう出来事が今後もある。
そのときは落ち着くための行動を取ることがとても大切で、そのとき感じている問題を解決しようとあがくのは、愚策だと冷静になった今思う。
そのとき感じているいら立ちや、怒りに似た激しい感情は、多分ハリボテというか、幻想とも言える勘違いなんだと思う。
次の日になれば、昨日揉めていたことが嘘のように、楽しく1日を過ごせた。これは自分の努力よりも嫁の気遣いの部分がとても大きいと思う。
今回みたいなことはこれからも何度だって起きると思う。
だけど、そのときに問題を解決しようとするんじゃなく、心を落ち着かせ、そのとき執着しているものを手放すのが一番早く解決すると思う。
自分の言い分に固執したり、執着すればするほど、問題は大きくなり、事態はどんどん悪化していく。そうならないように、心を平静に保つことが大切だと今日気づいた。
心が平静に保てない原因は、どこにあるのか?
それは自分の心の歪み。パーソナリティ障害や発達障害の部分だったり、アダルトチルドレンの部分だったりする。
だから、今すぐ問題起こらないようにすることは残念ながら難しい。
けど、問題が起きたあとに、それ以上問題が大きくならないように気を付けることはできる。
今まではその努力もあんまりしてこなかったように思う。
努力するポイントがわからなかったと言えばそれまでだけど、実際は気づいていたのかもしれないし、本当に気づいていないのかもしれない。
本当のところは記憶がどんどんなくなっていくので、覚えていないのが実際のところだ。
記憶がなくなることは本当に悲しい。
さっさと忘れてしまいたい辛い出来事は、心の表面上忘れているけど、本当の心の深層部分に根深く残っている。
どうでもいい記憶の表面は忘れていき、忘れたいくらいのトラウマレベルのことはいつまでも僕のメンタルを傷つけている。
ここでポイントなのが、忘れたいくらいのトラウマが、何を指しているのかわからないという点だ。
心というのは本当に不思議で、表面上は忘れているのに、心か頭か、それ以外の部分が記憶していて、それがトラウマやPTSDのような症状として僕を苦しめている。
だから、僕には何がトラウマになっているのか特定できない。
正体不明の何かに立ち向かっている感じがして、それがどこにいるかもわからず、何をすれば解決するのかもわからない。
そんな心の傷を抱えている。手っ取り早いはさっさと忘れてしまうことだと思うけど、それができれば苦労しない。なんせ表面上は忘れているんだから。
中身のない会話を繰り返しているようなものだ。その繰り返しが嫁に異常なまでのストレスを与えていることは、十分配慮しなくてはいけない。そのことをおろそかにしすぎていた。
これからはもう少し自分がしんどいだけではなく、嫁もしんどいことをわかってあげないといけない。